現実はさっぱりオブジェクト指向じゃない

 タイトルはちょっと興味を引こうとしただけで、中身はデータ抽象化の話です。
 簡単に言うと、現実世界では、データとそのビヘイビアが一つになっている事ってほとんど無いよね、という話です。
 例えば、僕が「田中一郎」だとして、僕の体のどこにも「田中一郎」とは書いてありません。僕がどこの保険に加入していて、どこの携帯電話会社と契約しているのか、どこにも書いてありません。
 結婚して名前が変わったとします。経験が無いのでわかりませんが、戸籍レベルの情報更新はかなりの手間でしょう。仮に、僕の体に「田中」と書いてあったら、それを「加藤」に変えればいいのでしょうか。いいえ、それだけではすみません。
 例えば引越しして住所が変わったとします。すると、さまざまな所に住所変更願いを出さなければなりません。携帯電話会社、クレジットカード会社、郵便局、etc...。非常に面倒です。なぜ、住所が変わった事が、個々の外部装置に伝播されて、いっせいに書き換わるという事が起きないのでしょうか(セキュリティとかそういうレベルの話をしている訳では無いので念のため)。
 現実はデータ指向であり、更に言えばほとんどのデータ伝播(チェインオブレスポンシビリティ?)を人間が記憶を便りに行う事で成立しています。非常にいびつです。それが悪いと言っている訳ではなく、単に現実とオブジェクト指向(データ抽象だってば)との乖離を示したに過ぎません。
 ここから何が得られるでしょうか。オブジェクト指向の入門書で現実をメタファとして提示している物は危険だ、というのはよく言われる事です。その先に行きましょう。問題領域抽象化の先にオブジェクトは無いのです(続かない)。